TOP世界遺産白神山地白神探検隊見どころ壁紙・ポッドキャスト周辺ガイド交通アクセスリンク
悠久の森 白神

白神山地の歴史

白神山地の歴史 日本列島の誕生から現在の白神山地が形成されるまで、気が遠くなるほどの時間を要しています。どのような経緯で白神山地は作られたのかを紹介します。







■白神山地の生い立ちと歴史













2億9千万年前

日本列島の大部分が海底だった時代

2億9千万年前イメージ2億9千万年前陸地
 白神山地は、日本の中で最も早く陸地となった場所の一つです。高く高く盛り上がろうとする性質をなぜか強く持っています。盛り上がっては削られるため、この頃の岩などは残っていません。
Shirakami-Sanchi is one of the first areas in japan that rose upward from under the sea. For some reason, the ground in this area keeps rising higher and higher. Because elevation tends to be offset by erosion. no rocks from this period have survived.
 












9000万年前

日本列島が大陸の一部だった時代

9000万年前イメージ9000万年前陸地
 恐竜が生きていた頃、日本列島は大陸の一部でした。地下ではマグマの活動によって、新しい岩が生まれていました。現在の白神の基盤の中で一番古い岩石は、この頃にできあがったものです。
When dinosaurs reigned on earth. the eventual Japanese Archipelago was still part of a continent. Under the ground. however. magmatic activities constantly produced new rock layers. The oldest rock strata of Shirakami-Sanchi were formed around this time.
6500万年前

恐竜が絶滅したといわれる頃
























2000万年前

日本列島の大部分が海底だった時代

2000万年前イメージ2000万年前陸地
 日本列島の大部分が海だった時代。爆発した海底火山の噴出物や泥などが、海の底に長年に渡ってつもっていきました。それらの海底堆積物もやがて岩となり、現在の白神の基盤を構成しています。
During the period when most of the Japanese Archipelago was still under water. lava and other substances erupting from submarine volcanoes accumulated on the seabed. eventually turning into rock to form the foundation of Shirakami-Sanchi.
1000万年前

ヨーロッパでアルプス山脈が出来始めた頃

500万年前
170万年前

隆起運動で白神山地が形成された時代

氷河期 170万年前イメージ170万年前陸地






 地面がだんだんに盛り上がりはじめ、海から陸になりました。やがて山になり、さらに山は高く高く隆起していきました。白神山地の誕生です。そのあいだ、氷河期や間氷期が繰り返し訪れました。
In theis period, the seabed in this area began to rise and became dry land.it subsequently formed mountains, and still kept on rising, eventually creating Shirakami-Sanchi. A number of glacial and interglacial periods came and went during this process.
 「白神山地世界遺産センター 藤里館」展示物から

■白神山地とその周辺の歴史























8000年前

縄文時代

8000年前イメージ8000年前陸地
 白神山地周辺から発掘された遺跡のほとんどは、縄文時代の遺跡です。海の幸に恵まれていたことから、この地域には原始時代から人が住み、この地域の自然に適した生活をしていました。
 日本海側の鯵ヶ沢町から岩崎村にかけて、遺跡は海岸段丘上にありますが、西目屋村の遺跡は岩木川に沿った台地上にあります。白神山地やその周辺で生活した縄文人は、ブナ、クリ、クルミやハシバミ、そしてトチやナラ類の木の実をはじめ、ヤマイモ、ヤマユリなどの根茎や球根、さらにキノコ類などを食料としていました。また、ブナ林では鳥獣を狩り、河川では遡上するサケ、マスを捕獲し、海辺では、貝類等を採取する生活をしていました。
西暦800年以降

平安・鎌倉時代

 平安時代のものとして、西目屋村の岩木川左岸台地上にある遺跡からは土師器、須恵器が発掘され、岩崎村の遺跡からは竪穴群が発見されました。鎌倉時代に入ると、幕府の支配が津軽にも及ぶようになり、正平15年(1360)頃には、根城南部氏が津軽地方に勢力を伸ばし、白神山地及びその周辺の目谷郷(現西目屋村)をも支配するようになりました。
西暦1500年以降

戦国時代

 その後は、南部氏の一支族であった大浦氏が、白神山地周辺の種里城(現鯵ヶ沢町種里町)を拠点に着々と地歩を固め、天正18年(1590)為信の代に津軽を統一し大浦を改め津軽氏を名乗りました。
津軽為信の津軽統一によって成立した弘前藩が白神山地及びその周辺の北部を支配し、秋田藩も現在の白神山地及びその周辺の南部を支配しました。
西暦1600年以降

江戸時代

 17世紀半ばに弘前藩が作成した国絵図(藩内の地図)には、白神山地が描かれ「しらかみの嶽」と呼ばれていました。弘前藩の森林地帯は5つに区分されていましたが、白神山地は上山通の西部と西浜之通にあたり、藩有林でした。一方、秋田藩が作成した国絵図には弘前藩との藩境付近に白神山地が描かれており、藩有林でした。
 また、弘前藩の貞享4年(1687)「御領分御絵図目録同合紋」には、白神山は弘前藩内の岩木山や八甲田山と並ぶ高山で、弘前城から約38qであると記されています。
 近世期の青森県側白神山地の植生は、現在のブナやサワグルミを主とする夏緑広葉樹林の植生とは異なっていたようです。長谷川成一氏は、弘前藩の国絵図や山林台帳などを詳細に検討され、17世紀前半の白神山地は針葉樹の群生を主としており、その後ヒバやスギなどの伐採が盛んに行われたために、18世紀後半以降は針葉樹林が枯渇し、それが回復することなく近代に至ったと指摘しています(長谷川2006年)。つまり、白神山地にはもともと豊かなヒバ林やスギ林がありましたが、近世後期に至るまでに乱伐された結果、ブナなどの広葉樹を主にする森林に変わったと推測できます。したがって、国有林化されたときは、白神山地はすでに落葉広葉樹を主とする森林でした。明治43年(1910)年「青森大林区国有林経営一斑」付図の「青森大林区管内森林分布図」によれば、白神山地の一部の地域にヒバが見られるのみで、他の大部分は広葉樹林でした。
Copyrights (c) 2008 THE TOHOKU REGIONAL OFFICE All Rights Reserved.